ピースアクション
2015/10/11
繰り返しになりますが、生活クラブ長野は安心な食べ物を組合員に供給するだけではありません。
一人一人の組合員が知ること、そして考えること、を日々模索しながら活動しています。
そんな活動の1つが、ピースアクション推進委員会です。生活クラブでは、チェルノブイリの事故よりも前から、脱原発を推進してきています。残念ながら、日本国内でも、2011年に福島原発の事故がおこってしまいました。それ以来は、国よりも厳しい基準値を設けて、取り扱う消費材のすべての放射能の自主検査を行っています。
また、福島の事故以来、ピースアクション推進委員会では、福島の組合員家族を一次的にでも、放射能の影響の少ない所で過ごしてもらう、リフレッシュツアーや、福島へ出向いて、福島の現状を持ち帰り、長野の組合員に伝える、という平和行動などをおこなっています。
10月9、10日は、そんなリフレッシュツアーを行った、全国の11の都道府県の生活クラブの組合員たちと、実際に参加した福島の組合員たちとの報告会が郡山で行われました。震災から4年がたち、組合員たちの生活も落ち着きを取り戻し、子供達も成長したこともあって、今後は、リフレッシュツアーだけでなく、新たな支援や活動の取り組みへと変化せざるをえないのでは、と感じさせられました。
10日に訪問した、桑野協立病院の先生がたのお話はとても興味深く、福島県立医大とは違うスタンスで、甲状腺検査に積極的に取り組み、自ら学習会を何度も開催するなど、日本人にとって未知の放射能の影響について、真摯に取り組んでいることを知り、とても感銘を受けました。放射能の影響はこれから20年、30年先まで続くかもしれない、ということを覚悟しておかなければいけない、ということです。
病院では、FTFという、表面に付着した放射能を1分で検査することのできる機械を体験させていただきました。
福島県内では除染が進みつつありますが、山や森の除染はまったく手付かずですから、雨が降るたびに、流れでてきて、再汚染される、ということでした。
また、除染の度にでる、膨大な量の汚染土の行く先は未定です。川内村の人々が生活する仮設住宅では、莫大な賠償金で家族が不仲になり、人々の心が荒んでしまったこと、あと2年で仮設住宅の使用が打ち切られることなどへの、苛立ちや、不満の声を聞いてきました。
私たちに何ができるのか、難しい問題ですが、被災者の人たちも一人一人が考え、自分がどこに住みたいのか、そのためには何が必要で、どこでどういう生活をしていきたいのかを意思表示することが大切なのではないかと思いました。
一人一人の組合員が知ること、そして考えること、を日々模索しながら活動しています。
そんな活動の1つが、ピースアクション推進委員会です。生活クラブでは、チェルノブイリの事故よりも前から、脱原発を推進してきています。残念ながら、日本国内でも、2011年に福島原発の事故がおこってしまいました。それ以来は、国よりも厳しい基準値を設けて、取り扱う消費材のすべての放射能の自主検査を行っています。
また、福島の事故以来、ピースアクション推進委員会では、福島の組合員家族を一次的にでも、放射能の影響の少ない所で過ごしてもらう、リフレッシュツアーや、福島へ出向いて、福島の現状を持ち帰り、長野の組合員に伝える、という平和行動などをおこなっています。
10月9、10日は、そんなリフレッシュツアーを行った、全国の11の都道府県の生活クラブの組合員たちと、実際に参加した福島の組合員たちとの報告会が郡山で行われました。震災から4年がたち、組合員たちの生活も落ち着きを取り戻し、子供達も成長したこともあって、今後は、リフレッシュツアーだけでなく、新たな支援や活動の取り組みへと変化せざるをえないのでは、と感じさせられました。
10日に訪問した、桑野協立病院の先生がたのお話はとても興味深く、福島県立医大とは違うスタンスで、甲状腺検査に積極的に取り組み、自ら学習会を何度も開催するなど、日本人にとって未知の放射能の影響について、真摯に取り組んでいることを知り、とても感銘を受けました。放射能の影響はこれから20年、30年先まで続くかもしれない、ということを覚悟しておかなければいけない、ということです。
病院では、FTFという、表面に付着した放射能を1分で検査することのできる機械を体験させていただきました。
福島県内では除染が進みつつありますが、山や森の除染はまったく手付かずですから、雨が降るたびに、流れでてきて、再汚染される、ということでした。
また、除染の度にでる、膨大な量の汚染土の行く先は未定です。川内村の人々が生活する仮設住宅では、莫大な賠償金で家族が不仲になり、人々の心が荒んでしまったこと、あと2年で仮設住宅の使用が打ち切られることなどへの、苛立ちや、不満の声を聞いてきました。
私たちに何ができるのか、難しい問題ですが、被災者の人たちも一人一人が考え、自分がどこに住みたいのか、そのためには何が必要で、どこでどういう生活をしていきたいのかを意思表示することが大切なのではないかと思いました。
